大阪に来るまで⑵・・・と私の反省

エッセイ

長野での生活

寒い長野での生活が始まった。

上の2人が高校生になりこれからお金がかかるって思って、正社員で働いても、夜勤をしても、生活費で消えていく。

そういえば、旦那に正社員で働いてほしいって、私が仕事探して「こんなのどう?」って言ったなー

本人のやる気次第・・・無理なもんは無理だ。

それでも時は進んでいく。子どもは成長していく。

長女は公立の短大進学しその後国立の4年制大学に編入。

長男は公立入れず・・・フィジーで語学留学した後、マレーシアの大学へ正規留学。

日本の私大へ行くよりは安くすんだ。なんとかやりくりできた。

もう1人末娘がいるけど何とかなりそうだ。

少しずつ自分自身の人生にシフトしていこう。

やりたい事をやってみよう

児童養護にたずさわりたいと思い、保育士資格取得を目指し2年で合格。

『せっかく取ったなら乳児院で働いてみたい。』と探しても長野の田舎じゃあ求人がない。

ちょっとどっかで働いてみるか・・・ついでに、水道光熱費などの引き落としを旦那の名義に変更しよう。

私は、生活費を私の方が出していることに納得いっていなかった。

でも、言えなかった。言っても無理だと思っていた。

だから、行動するしかないと・・・

そして、香川の乳児院で働くことを決めた。

最悪な自分

でも、末娘を置いてきた罪悪感がどっと押し寄せ4ヶ月で戻ることに。

ホントにごめん、ごめんなさい。

中学1年になったばかりの娘を置いて私は、家を出てしまった。

最悪だ、最悪の母親だ。

いや、そんな奴母親なんていえない、ただのクソばばあだ。

香川にいる間、毎日ラインした。週に1度はビデオ通話した。

でも、娘はだんだん元気がなくなっていった。

『あかん、帰らなあかん。』

長野に帰ったからも、娘はちょっと元気がなかった。

でも、何回も話をしていつもの娘に戻っていった。

今こうやって振り返っていると、再びあの罪悪感が押し寄せてくる。

『最悪だ。』

娘は私にべったりだった。その娘を置いていってしまった。

理由はいろいろあったけど、そんなの言い訳にしかならない。

この罪から逃れるために『ごめんなさい。』と娘にまた言いたくなってしまうが、

『あかん、言ったらあかん。』

言ったら娘はその時の寂しさを思い出してしまう。

私が時々思い出しながら、思い出して反省しながら生きていくしかない。

今日は、どっぷり『反省』します。

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