旦那とおとうさん

エッセイ
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89歳の義理の父は愛知県でひとりで暮らしています。

愛知で暮らす義理の父のこと

先日、義父から荷物が届きました。

熊本の米、味付け海苔、サツマイモが入っていました。義父は時々こうやって私達に荷物を送ってくれます。

米は父が育った熊本の矢部っていう所の米です。毎年車で熊本へ行って1年分の米を買っています。

モチモチしていてとても美味しいです。

サツマイモはパチンコの景品です。そして、このパチンコの景品のサツマイモがメチャクチャ美味しいんです。

早速、焼き芋にしていました。

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ねっちょり甘くてホント美味しいサツマイモでした。義父はこのサツマイモが欲しくてパチンコに行ってるそうです。

こうやって時々荷物を送ってくれる義父に本当に感謝です。

旦那の両親との関係

私達は一度愛知の実家で1年だけ暮らしたことがあります。上の子ども2人が中学生の時です。

引っ越しの日、義理の両親は長野までトラックで来てくれ一緒に荷物を運んだんですが、途中で荷物を落としてしまいます。

それがきっかけで着いて早々に大ゲンカ。義父も殴りだす勢いでした。

まだ転入していない子ども達は、『俺らどうなるんやろ?』って思ったそうです。

とりあえず子ども達は愛知の中学に転校し、田舎者の2人は必死に都会の学校に慣れようとしていました。

しかし、義母と義父はうちに来て子ども達もいる私ら家族に向かって、大声で怒鳴り散らしていくこともありました。

本当にここで暮らしていけるんだろうか?

旦那と旦那の両親との関係

引っ越してすぐ、隣りの親戚の家へ挨拶に行きました。

旦那の従兄弟はもう亡くなっていますが、生前奥さんに話していたことをその日は聞くことができました。

「○○(うちの旦那)は本当にかわいそうな育てられ方をされた。厳しくて家の中に入れない時もあった・・・」

それらを家に戻って旦那に話すと、

「知らんかったのは俺だけか・・・」

子どもにとって親は絶対ですからね・・・おかしいなぁと感じ始めたのは20才頃だそうです。

そういえば、私達が結婚すると決めた時、義父に

「こんな奴のどこがいいんや。」

と言われたことがありました。忘れてましたが、今ふと思い出してしまいました。

絶縁状態の数年間

結局愛知の家には居られず1年後には出ました。

長女は高校入学という区切りで引っ越しでしたが、長男はまた中学転校です。

転勤族でもないのに、彼は中学1年ごとに転校しました。

旦那の両親、旦那の弟、妹にも、何も言わず愛知の家を出ていきました。

それから暫く絶縁状態が続きましたが、ある日義母、義父で長野の家にやって来ました。

そして少しずつ私や子ども達は話をするようになりましたが、旦那は一切口をききませんでした。

義母との別れ

ある日、義母がくも膜下出血で倒れたと旦那の妹から連絡がありました。

愛知を出てから一度も話そうとしない旦那は、もちろん行こうともしませんでした。

でも最後は、「しゃーないか。」と重い腰を上げ私たちは会いに行きました。

義母は息はしていましたが、管につながれ話すことはできませんでした。

その1週間後に義母は亡くなりましたが、旦那の態度は母を見送るという感じでは全くなかったです。

多分、言いたいことはいっぱいあったと思います。

文句がいっぱいあったと思います。

今の義理のお父さん

義父はパチンコやカラオケを楽しんで毎日を暮らしています。

時々私に電話をかけ、旦那(自分の息子)の悪口を言ってきます。

いつまでたっても、困ったもんです。

そして、「100まで生きる。」と言ってます。

旦那とその親の言動はそっくりで困ったもんです。

褒めることができない、けなすことしかできない。

でも、私らを気にしてくれるぶきっちょなおとうさん。

いつもありがとう。長生きしてね。

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